皆さま、いつも貝塚澤なすサイトをご覧いただきありがとうございます。北野農園の北野です。
突然ですが、「水なす」と聞いて皆さまは何を思い浮かべますか? おそらく多くの方が「泉州水なす」という言葉を思い浮かべるのではないでしょうか。実は、ここ大阪の地元でさえ「水なす=泉州水なす」としか知らない方がとても多いのです。
私自身、先祖代々この貝塚の地で農園として300年近くにわたって土と向き合ってきた家に生まれました。そんな私でさえ、水なすの歴史の奥深さに気づいたのは、貝塚澤なすの復活栽培に取り組み始めてからのことでした。
「泉州水なす」の名前が広まるまで
現在「泉州水なす」として全国的に知られるようになったのは、実はそれほど昔のことではありません。ブランド名として定着したのは昭和後期から平成にかけてのことです。それ以前、この泉州地域では集落ごと、村ごとに少しずつ異なる水なすが大切に受け継がれていました。
つまり「泉州水なす」という一つの名前の裏には、いくつもの地域固有の品種が存在していたのです。その中の一つであり原種が、私たちが復活栽培に取り組んでいる「貝塚澤なす」です。
水なすのルーツは想像以上に古い
なすの原産地はインドとされ、日本には奈良時代にはすでに伝わっていたと言われています。そして大阪の泉州地域は、温暖な気候と豊かな水源に恵まれ、古くから水なすの栽培に適した土地でした。
しかし当時の「水なす」は、今のように均一化されたものではありませんでした。各農家が自家採種を繰り返し、その土地の風土に合った独自の品種を育て上げていたのです。
「貝塚澤なす」という原点
貝塚澤なすは、現在広く流通している泉州水なすの原種とも言える存在です。果皮が非常に薄く繊細で、色素も淡い。手で握ると水が滴るほどのみずみずしさを持っています。
しかし、その繊細さゆえに栽培が難しく、流通にも向かないため、時代の流れとともに姿を消していきました。スーパーに並ぶことを前提とした「強い品種」が求められる時代には、貝塚澤なすのような品種は「非効率」とされてしまったのです。
歴史を学び、整理し、伝えていく
私は今、この水なすの本当の歴史をもう一度しっかりと学び直し、整理して、このサイトを通じて発信していきたいと考えています。
「泉州水なす」という便利な一括りの名前の奥には、先人たちが何百年もかけて育ててきた多様な品種の物語があります。それを知ることは、私たちが今手にしている水なすの味をより深く理解することにつながるはずです。
地元大阪の方にこそ知っていただきたい。「水なす」はただの野菜ではなく、この土地の風土と人々の営みが凝縮された、生きた文化遺産なのだということを。
これから少しずつ、調べたこと・学んだことをこのサイトで共有してまいります。水なすの歴史を一緒に辿っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
北野農園 北野


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