泉州地域の水への想い


大阪泉州地域には「水」に対する特別な想いがあります。このページでは泉州貝塚市が先祖代々大切にしている「水への想い」について紹介します。

1.大阪泉州地域は農地面積に対するため池の数が日本トップクラス

元々雨の少ない地域だった泉州地域には農業用池が多数存在します。近木川の源流に近いところから各村のため池に水が籠められます。

2.龍王信仰、牛神信仰、庚申信仰について

泉州地域には1000年以上も昔から存在する農業用のため池があり、雨の少ない泉州地域で農業をする上でとても大切に地域で守られてきました。葛城山脈から湧き出た水が近木川、津田川の2河川を通り各村にあるため池に水が籠められていきます。しかし時折の干ばつで川の水、池の水が渇水するときは、葛城山頂の八大竜王、脇濱恵比寿大社の八大竜王へ村人が雨ごいに行き祈りを捧げました、お年寄りや、子供など遠くまで信仰に行けない人たちのためや日々の信仰のために村の要所には八大龍王を祭る石碑があったりします。
かつて旧暦の7月7日、現在の8月7日を中心とする近い日に泉州地域におけるいくつかの村では午前に牛神祭が行われていました。昭和30年代までは各農家ごとに田畑を耕すための役牛がいて家族同然で大切にされ、農耕に欠かせない牛の無事を祈り感謝を示す信仰です。

3.貝塚市には水にまつわる地名が多数存在します

貝塚市にはかつての水に対する信仰の名残から?か古くから存在する水にまつわる地名が多数存在します。以下は江戸時代の絵図ですが現在の貝塚市周辺に固まっていることがわかります。画像には載っていませんが「水間」などはまさに水にまつわる地名と言えます。

このほかにも水を大切にしてきた泉州地域の先人の想いを今後も更新していきます。2022.8.8

4.飛鳥時代に秦氏が伝えた漢字、仏教、道教、茄子の種(※未編集項目 文章おかしいところあります)

貝塚市には飛鳥時代に豪族秦氏が残した泉州最古の漢字の手紙があります。その当時中国文化がどんどんと日本に入ってきていた時代で、漢字や仏教、道教とともにナスの種も早い段階で当時の泉州地域には存在していたと考えられます。日本最古の狭山池と同時期に造られた久米田池や、その周辺のため池も非常に古いものが多く地域の生産環境が整い奈良時代に都であった平城京の都市近郊地として生産が栄えていたこともうかがえます。

5.庭訓往来という昔の教科書

庭訓往来は1300年代の室町時代から明治まで使われていた寺子屋などで使用される教科書です。