貝塚澤なすとは?
なにわの伝統野菜 貝塚澤なすは大阪特産「泉州水なす」の原種です。大阪で現在確認できる伝統水なす2系統のうちの巾着系統の種。室町時代の庭訓往来にも記載があり、現在北野農園で確認できる歴史的資料では安土桃山時代1606年(慶長11年)にはすでにその名が存在し、江戸時代1628年(寛永5年)の「庭訓往来」にも澤茄子にミズナスビのフリガナが振られ記載されています。大正9年に大阪貝塚市の廣海家と要家の手紙の中での「水なすび」などに「みずなすび」として出てきます。明治、大正、昭和初期には貝塚澤なすは「巾着系の水茄子」として大阪泉州地域の浜手地域を中心に広く栽培されていました。昭和20年代に盛んに品種改良され現在の泉州水なすに繋がる「絹皮水茄子」「絹なす」「きぬ茄」などが主流となり、純粋な巾着系の貝塚澤なすは姿を消してしまいました。
1.果皮の色は薄く赤紫色で花弁などが付くとその部分は黄緑色、ガク下はグラデーション
2.果肉はやや黄色味
3.果実は扁円形で縦ジワがある
4.果肉内の種房が多い
5.おしりの部分の花落ちが大きい
6.皮が薄く傷が付きやすすぎるため基本的に傷付き果
7.木の樹勢が強く、1本の木から採れる個数は少ない
8.気候に影響され果実の雰囲気が非常に変化しやすい
9収穫は泉州水なす(180g-200g)の規格に比べ小ぶり。約140g-170gで収穫する。
↑おしりの花落ち部分が広い
寛永5年発行の庭訓往来の澤茄子の記述に「ミヅナスビ」のフリガナが振られ約400年前から泉州地域ではナスビ=水ナスビだったことがうかがえます。
また当時は野菜ではなく果物や菓子と同じページに記載されている事から、今でいうフルーツやデザートのような位置づけでも愛されていたのではないかと考えられます
大阪府貝塚市は全国でも珍しく「貝塚遺跡」のない貝塚地名です。ではどこから貝塚地名が来たのかというと
現在の貝塚市海塚(うみづか)地区の地名がかつては「海塚(カイヅカ)村」として存在しやがて「貝塚(カイヅカ)町」になっていったことが由来です。詳しくは以下ご参照ください。
- ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」によると
貝塚寺内の南東隣にある村で、貝塚寺内とは本来一村であったと推定されている。南郡に属する。海塚村とも書く。元禄郷帳に「海塚村」、天保郷帳に貝塚村とあり、南海塚村ともいった(和泉志)。江戸時代中頃から村方を海塚、寺内を貝塚と区別して表記する傾向が強いが、明治一八年(一八八五)内務省地理局編「地名索引」、大正一二年(一九二三)刊「市町村大字読方名彙」には海塚と書いてカイヅカと読ませており、海塚をウミヅカと読むようになったのは近年である。
現在も貝塚澤なすに関する情報整理は続いておりますので、ぜひお詳しいかたは泉州水なすの北野農園までご一報いただけますと幸いです。